他の社員の引き抜きをする元社員への対応

Q X社で働いていた社員Aが退職後にX社と同業の会社を立ち上げた。Aは退職時に自分の部下だったものを数名勧誘し、引き抜いて行ってしまった。また、AはX社で培った営業のノウハウを利用し、退職時に持ち出したX社の顧客名簿を利用している疑いがある。会社は社員の退職後の競業他社での勤務、起業を禁止することはできるか。X社としては、会社に損害を及ぼしかねない元社員のAに対してどのような対抗手段がとれるか。

A 1 まず、雇用関係が存在するときには社員(労働者)は会社(使用者)の不利益となるような行為を行わない契約上の義務が存在すると考えられるので、競業を禁止することが可能です。退職後については、契約上の義務が通常は生じないので、退職後の競業禁止について明示的に特約をして初めて義務が生じることとなります。この特約については、社員の職業選択の自由を制約するものであるので(憲法22条1項)、その有効性が問題となります。

 

 その判断は、競業避止による会社の利益と社員の不利益を比較衡量したうえで、社員の被る不利益がより大きく、避止の内容が公序良俗に反し無効であるかにより行います。そこでは、①競業避止の期間・地域、②競業避止対象の業務の限定性、③会社の正当な利益保護が目的か、④社員が競業避止を課す必要のある地位・業務に就いていたか、⑤会社が給与等で代償措置を講じていたかが重要なポイントになります。

 

ア)有効とされた事例

 医療広告等を行う会社の元執行役員が競合会社の社長に就任し、同様の事業を展開したため、退職時の競業避止の誓約書により宣伝活動などの差止を求めた事案では、特約の目的が会社と専門医等との人的関係の維持という正当な目的であること、競業避止義務を負うのが執行役員などに限定されていたこと、範囲が広告業務一般ではなく5つの業務に限定されていること、競業避止義務の期間が2年間と比較的短期であること、当該社員が執行役員として相当の給与を得ていたことから、特約を有効としました(トーレラザールコミュニケーションズ事件・東京地判平16.9.22・労判882-19)。

 

イ)無効とされた事例

 医薬品等の研究開発を受託する会社の元従業員が競合会社に就職したため、入社時と退社時に「競業他社への就職の1年間の避止」を定めた競業避止特約に基づき損害賠償を求めた事案で、当該元社員の担当業務、地位から同社独自のノウハウには触れていなかったこと、長期間臨床研究開発業務に従事していた者に他の開発研究業者への転職を制限することは再就職を著しく妨げることから、競業避止特約を無効としました(新日本製薬事件・大阪地判平15.1.22・労判846-39)。

 

ウ)一部無効とされた事例

 かつらメーカーの従業員が美容室経営の会社に転職しかつらのメンテナンス作業の業務を行っていることに対して、会社が競業避止義務違反で訴えた事案では、このような転職先での業務は会社が保有する特有の技術又は営業上の情報を利用した業務ではなく、「商品知識、接客サービスの方法等の営業ノウハウなど・・・は、正に従業員が日常的な業務遂行の過程で得られた知識・技能であって、このような知識等は、従業員が自由に利用することができるものである」などとし、競業避止特約の有効性は認めたものの、避止対象の業務について一部無効とする判断をしました(アートネイチャー事件・東京地判平17.2.23・労判902-106)。

 

 また、業務の範囲でなく期間について、特約の定める2年間ではなく1年間の範囲で有効とした事案もあります(アフラック事件・東京地判平22.9.30・労判1024-86)。

 

2 引き抜き行為については、在職中に行えば雇用契約に信義則上含まれる競業避止義務により、義務違反の引き抜き行為は債務不履行または不法行為に基づく損害賠償の対象(東京コンピューターサービス事件・東京地判平8.12.27・判時1619-85)、及び懲戒処分の対象となり得ます。

 

 退職後については、上記のように競業避止特約が必要となります。もっとも、特約がない場合でも、引き抜きの態様が自由競争の範囲を逸脱した悪質なものである場合には例外的に不法行為としての責任追及をできる可能性があります(不正競争行為差止等請求事件・東京地判平6.11.25・判時1524-62、リアルゲート・エクスプラネット事件・東京地判平19.4.27・労判940-25)。

 

3 会社が競業避止義務違反の元社員の行為に対してとれる対応としては、差し止めと損害賠償請求があります。

 会社に回復しがたい損害が生じるおそれがある場合には、事後的な損害賠償では不十分なので、事前の差止の請求も検討しましょう。差止請求を認めた裁判例では、元社員が会社の従業員3人のうちの2人を引き抜いて会社の月収が10分の1近くに落ち込んだことから、会社の存続が危うくなるおそれが大きいとして、元社員の販売行為の差止めを認めました(新大阪貿易事件・大阪地判平3.10.15・労判596-21)。

 

4 会社の予防的対応としては、競業避止義務を合意しておくことが重要です。退職後の競業避止義務については、上記のように明示の合意が必要ですが、就業規則による包括的な合意と、個別的な合意のどちらをすべきでしょうか。

 

 就業規則での合意については、退職後3年間の競業避止義務を定めた就業規則につき、一律に競業避止義務を課す高度の必要性が疑わしく、職業選択の自由制限に対する代償も十分でないとして、一部の社員との関係で無効とした裁判例があります(東京貨物社事件・東京地判平15.5.6・労判857-64)。

 

 就業規則による競業避止義務の設定は社員に一律の義務を課すため、個別の社員に応じた必要最小限の制限とみられず無効とされるおそれが髙いです。万全を期すならば、就業規則で定めた上で、個別の社員とその地位・業務に応じた個別の競業避止特約の合意をしましょう。

 

 また、競業避止特約において、違反した場合に退職金を不支給・減額にする旨の合意や違約金の合意をすることもあります(上記「懲戒解雇処分と退職金」参照)。退職金の減額・不支給については、競合行為の重大性に応じて減額することは違法ではないとしつつ、退職金の功労褒賞的性格に着目し「長年の功労を否定し尽くすだけの著しく重大なものといえない」として、不支給にすることまでは認めなかった裁判例があります(東京貨物社事件・上記)。

 

 違約金の定めについては、給与の6か月分の違約金の合意がある場合に、給与は実際に働いたことに対する対価であり、6か月分すべてを不支給とすることは不合理だが、特約に反しない態様で転職した場合には1か月程度給与が得られないであろうことから1か月分については合理的として、その範囲でのみ合意の効力を認めた裁判例があります(ヤマダ電機事件・東京地判平19.4.24・労判942-39)。

 

 さらに、一般に優秀で専門的な知識を有する人材ほど、転職対象は限られます。そのため、大きな不利益となる競業避止義務を課す会社は、就職先として敬遠される要因ともなります。また、元社員を訴えることで残された社員のモチベーションに悪影響を与えることもあります。

 

 したがって、会社の利益にとって競業避止義務を課すことが必要か、どの範囲で課すべきかを慎重に検討する必要があります。

 

5 本件ではどうすべきでしょうか。

 

 Aの引き抜き行為については、在職中から行われていたのであれば、雇用契約に信義則上含まれる競業避止義務となり、債務不履行または不法行為に基づく損害賠償、及び懲戒処分の対象となり得ます。退職後になされたのであれば、退職後の競業避止特約があればその義務違反による損害賠償請求が可能です。もっとも、特約がない場合でも、引き抜きの態様が自由競争の範囲を逸脱した悪質なものである場合には例外的に不法行為としての責任追及をできる可能性があります(不正競争行為差止等請求事件・上述、リアルゲート・エクスプラネット事件・上述を参照)。

 

 Aに競業避止義務違反が認められる場合には、差し止めと損害賠償請求を行うことが考えられます。会社に回復しがたい損害が生じるおそれがある場合には、事後的な損害賠償では不十分なので、事前の差止の請求も検討しましょう。差止請求を認めた裁判例では、元社員が会社の従業員3人のうちの2人を引き抜いて会社の月収が10分の1近くに落ち込んだことから、会社の存続が危うくなるおそれが大きいとして、元社員の販売行為の差止めを認めました(新大阪貿易事件・大阪地判平3.10.15・労判596-21)。本件でもAはX社の社員を引き抜いているため、その引き抜きによるX社の業務への影響を考慮して差止の可否が検討されることになります。差止請求の際には、裁判所に業務への悪影響が生じることを客観的な資料から基礎づけて主張することが必要です。

 

(競業避止誓約書の例)

競業避止誓約書

 社員〇〇(以下「私」といいます。)は、以下の行為をしないことを誓約します。

1 私は、退職後2年間、〇〇会社と同種の事業を営む会社で以下の各号に該当する行為を行わず、また自ら同種の事業を行う会社を経営しません。
(1)〇〇会社製品と同種製品の研究開発
(2)〇〇会社の開発ノウハウを利用した製品の開発

 

2 私は、前項に違反した場合、受領した退職金を全額返還します。
なお、その損害賠償額がそれに限られないことにも同意します。