不正請求を行った社員の損害賠償義務の精算
Q X社の社員Aが私的な飲食について、X社に接待費として10万円を不正に請求していたことが判明した。Aは不正な請求について認めており、反省の態度も示したうえ、全額返還することをX社と合意した。X社としては、事務処理の煩雑さを避けるために、Aに支払う予定の給与から10万円を控除したいと考えている。法的な問題はあるか。
A 1 会社が労働者に対して有する債権と労働者の会社に対する賃金債権を相殺することは、労働基準法24条1項が定める「賃金全額払い原則」との関係で問題となります(労基法24条1項「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなくてはならない。」)。
全額払い原則の趣旨は、労働者が現実に賃金全額を得て日常生活を保持できるようにすることです。相殺を許す労働者の生活が危うくなるため、原則として会社が一方的に賃金債権と相殺をすることは許されません。
もっとも、会社が社員の同意を得て行う相殺は、社員の自由な意思に基づく同意があると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する場合には全額払い原則に反しないとして、認められています。ただし、その認定は慎重かつ厳格に行われます(日新製鋼事件・最判平2.11.26・労判584-6)。
認定に関しては、相殺の合意の強制の有無、社員が合意に応じることの利益の有無を考慮した事案(日新製鋼事件:上記)、社員が弁護士と相談した上で相殺を容認する書面を提出していたことを考慮した事案(全日本空輸(取立債権請求)事件・東京地判平20.3.24・労判963-47)で、合意を肯定しています。
他方で、社員が相殺に応じたのは懲戒処分から間もない時期で、損害賠償につき十分検討する間もなく会社の処理に従ったことを理由に相殺の効力を否定した裁判例があります(関西フェルトファブリック事件・大阪地決平8.3.5・労判692.30)。社員が明確に署名押印をした規則に記載のあった研修費については同意の有効性を認めたが、規則に記載のない寮費については同意の有効性を否定した裁判例があります(コンドル馬込交通事件・東京地判平20.6.4・労判973-67)。
2 なお、賃金との相殺には、給与計算のミスを訂正する場合の調整的相殺の場合もあります。この場合には、「過払いのあった時期と賃金の精算・調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期になされ、労働者に予告されるとか、その額が多額にわたらないとか、要するに労働者の経済生活の安定を脅かすおそれがない場合」(菅野労働法304頁)には、全額払い原則に反せず、相殺が認められています。
3 対応としては、不正請求を行った社員が給与からの相殺に応じた場合には、自由な意思に基づく同意であることの合理的な理由が客観的に存在することの証拠化が必要となります。証拠化においては、同意書の提出を求めるほか、同意を得る過程において、強制ととられかねない言動は避けましょう。そして、証拠化するためには打合せ・話し合いをメールで行うとか、具体的発言内容を議事録化するなどの方法も考えられます。
社員が相殺に同意しない場合には、一方的な相殺は禁止されるので、社員に支払いを請求することになります。
4 相殺はAの同意を得て行う必要があります。この同意は、社員の自由な意思に基づく同意があると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する場合であることが必要とされているので、強制的な方法や懲戒処分での威圧による方法はとらないようにし、相殺による簡便な決裁が労働者にも有益であることを説明するなど、真意による同意を得るように努めましょう。
また、賃金との相殺には、給与計算のミスを訂正する場合の調整的相殺の場合もあります。この場合には、「過払いのあった時期と賃金の精算・調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期になされ、労働者に予告されるとか、その額が多額にわたらないとか、要するに労働者の経済生活の安定を脅かすおそれがない場合」(菅野労働法304頁)には、全額払い原則に反せず、相殺が認められています。これとの比較から、本件のような相殺でも10万円の給与に占める割合からAの生計への影響が大きくないといえる場合、不正行為と直近した時期に行われる場合であれば、相殺が認められる方向での事情となるでしょう。
(相殺の同意書の例)
同意書 平成〇年〇月〇日 私_______は、貴社が私に対して有する下記債権について、簡便な方法による清算を希望しますので、貴社が私に支払う平成〇年〇月以降の賃金から、実際に返済可能な金額として貴社と相談して決定した〇円を、下記債権額に満つるまで毎月控除してこの支払いにあて、相殺処理することに同意いたします。
記
接待費には該当しない私的な遊興費を、接待費として貴社に請求し貴社が当該請求に基づき私に支払った金員〇円 伝票番号 〇〇〇〇 以上 |
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